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「新しい日本」への意識改革 憲法・都市政策・地方分権のあり方

「党利党略」「永田町の論理」「派閥力学」と完全に決別!
新しい自由民主党の姿を国民の前に提示、「経済活性化」「行政財改革」「党内浄化」を理念と信念で提言!

「党利党略」「永田町の論理」「派閥の力学」と完全に決別した、新しい自由民主党の姿を国民の前に提示しなければ、首都圏のみならず全国においても、支持を得ない、国民から見放された政党になると思います。 私どもは、自分の選挙区支部において、自由民主党の灯をともすため、あるべき近代的政権政党の姿を主張しています。「経済活性化」と「行財政改革」と「党内の浄化」を理念と信念をもって、国民にわかりやすい形で実行していくことが、自由民主党再建の第一歩であり、責任政党のあるべき姿だと思います。 このような思いで、東京・千葉・埼玉・神奈川の一都三県の首都圏自由民主党衆議院小選挙区の新人支部長九人は、「麒麟の会」という勉強会を結成しました。本書は、「麒麟の会」の有志三人によって書かれたもので、各自の思いをまとめたものです。

首相公選制 首相を国民投票で選べば密室政治を解消できる!

なんで国民が何も期待していない森首相が誕生したのか

小渕前首相の緊急入院の際には、30時間以上も行政の最高責任者不在の非常事態が発生し日本の危機管理の甘さを露呈した。また、日本国憲法は立法、行政、司法の三権分立を明確にしているが、現実の日本の政治では、議院内閣制のもとに、国会で多数を占めた党派のリーダーが内閣総理大臣に選出され、組閣するシステムで、立法権と行政権が明確に独立しているかといえば必ずしもそうではない。
このような憲法上の矛盾を解消し、危機管理の甘さを払拭するためにも、アメリカの大統領制のように、国民から直接選ばれた代表者が独立した行政府を作り、副首相選出も含めた首相公選制が必要だという声がある。
日本において、首相公選制は可能なのか。そのシステムはいかなるものか。
弁護士で『時代に合った新しい憲法を創る』著者の早川忠孝氏に聞いた。

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日本の首相が、政党内の派閥力学や、政党間の"話し合い"など、“永田町の密室”の中で決められていると感じている人は少なくないだろう。首相が組閣を行なう場合でも、各大臣がどういう理由で選ばれているのかわからないし、納得もできない。
これらの日本の政治欺瞞を解消し、また三権分立を厳密にするためにもアメリカの大統領のように、自分たちの代表者を直接選びたいという意見がある。
しかし、アメリカやフランスなどに見られる大統領とは共和国の元首のことであり、「象徴天皇制」をとっている日本では事実上採用できない。日本で可能なのは、行政府の長としての首相を国民投票で直接選ぶ首相公選制だろう。

■中曽根憲法私案で問われた問題点

かつて1962年(昭和37年)に、中曽根康弘・元首相(当時衆議院議員)が、派閥政治や政争、政権の不安定を解消するためにつくった「高度民主主義民定憲法草案」(中曽根憲法私案)の中で、この首相公選制を日本で初めて提唱したことがあった。40年近くたった現在でも、これらの諸問題は解決されるどころか、ますます混迷を極めている。

かつて中曽根氏があげたこれらの問題は、国会で多数を占めた党派のリーダーが内閣総理大臣に選出され、内閣を組閣するシステムである議院内閣制という制度自体から生ずるものなのではないか。
その意味で政党、無所属を問わず、広く国民の間から選出された候補者の中から国民自らの投票によって選ぶ、首相公選制は、議院内閣制の抱える問題点を解消するための一つの方法だと思う。
議院内閣制のもとでは、基本的には議会(国会)の多数の意向と政府(内閣)の政策は同じだと考えていい。
日本の場合、戦後の歴史をみてもわかるように、議会内の対立は常にあるものの、アメリカのように、政府と議会が対立するという構図にはならない。
行政府と議会が分立しておらず、三権分立が正しく機能していないといわれるゆえんである。

さらに日本の現在の憲法では、国会が国権の最高機関だとうたわれているが、国会そのものが全ての責任を負えるものではない。そのときどきの内閣が行政上の責任を負わなければならないわけで、内閣の機能がしっかりしていなければならない。当然のことながら、その意味で、首相をはじめとする内閣を構成する人材が、国政上重要な要件になる。

しかし、今の日本の政治をみていると国会に選出されてくる議員のレベルが低下していると言わざるを得ない。というのは、政治改革の一環として行われた衆議院の小選挙区制が、ある意味で国家的視野で政治を担っていく人を選出する構造になっていないからだ。
小選挙区では、二世議員とか、地方議員などが候補者になりやすい。
将来的に小選挙区制が続くようだと、視野が地域に限定されて、しかも、外交や防衛、あるいは国家全体の利益をはかるということにはあまり関心を持たない人々が国会に選出されてくる可能性がある。
議院内閣制では、そのような状況下にある国会から、国家の命運を首班を選ばなければならないのだ。

現在では、国民の期待と国会の論理が相反して、その乖離が非常に大きくなっている。
当然、政治に対するノーという意志が生じる。
そのような国会を逆にチェックし、国を左右する行政の側から国会をリードする。
そんな大所高所を心得た人材を選出し得るという面からも首相公選制は望ましいといえる。
首相公選制は、国民の直接投票によって、議会から独立した政府をつくり上げるものだ。
その点で議会と政府との間で、本来の分立がはかられるし、双方の緊張関係も生まれるだろう。

■都知事選、府知事選で噴出した危険性

しかしながら首相公選制には問題点も多い。
ひとつは、独裁政治になりやすいという点だ。首相が直接国民から選ばれることで、強大な権力を持つ存在になるからだ。歴史的にみても、過去の独裁者は多くの場合、最初は国民の直接選挙で選ばれている。国家的危機状況に直面し、それを克服するために必要であると、国民を扇動して独裁に走るケースが多いのだ。
その点、アメリカの大統領が独裁的にならないのは、直接国民が大統領を選ぶのではなく、国民に選ばれた代議員が選ぶ間接選挙制を採っている点が大きい。しかも、最終候補者になるのには各党内で10ヶ月ぐらいの長い時間をかけ選挙する。国民には一時の感情に走ることなく、じっくりと候補者を選別する機会が与えられているといっていい。またクリントン大統領スキャンダルの際、議会が弾劾裁判を行ったように議会のチェック機能も働いている。

この点から見ると、首相公選制の問題点は、人気投票的な性格がでやすいということだ。例えば、直接首長を選ぶという点では同じ性格をもつ知事選挙をみてもそれは顕著だ。
圧倒的な人気で東京都知事になった石原慎太郎氏は今のところ都民の支持を集めているようだが、前回の知事選で人気だった青島知事はどうだったか。任期を終えたときの都民の声は選挙時とは全く違ったものだった。また、横山ノック大阪府知事にいたってはいわずもがなの状態だ。思い起こせば彼は絶大な人気で二期目の当選を果たしたのだった。

一国の代表でもある首相が、本当に適格者なのかどうか、チェックもされず、人気投票的な選ばれ方をされた場合、権力が強大なだけに国民が負の結果を被る危険性は大きい。
人気投票にも通じるところだが、選挙が社会の雰囲気やブームに流されやすいという面も、首相公選制の問題点としてあげられるだろう。参議院選挙を社会党の大勝利に導いた土井たか子氏の「おたかさん」ブームにみられるように、国会議員の選挙でも、そのときどきの風向きで大きく票が動く。選挙のたびに票の行方が変わるような状況の中で、一番大事な首長の選択を任せることに危惧する識者も多い。
有権者の政治意識の問題もある。現時点では、残念だが特定の勢力を支持する人々は別として、多くの有権者は政治に関心を持っているとは言いがたい。政治など誰がやっても同じだと考えている人が多い。投票率も非常に低く、50%にも満たない中で国会議員が選ばれているというような状況だ。自らが政治を担っていく責任を、一人一人が分担するという意識が国民に育つことが首相公選の前提条件である。

知事や市町村長を直接選挙で選ぶ場合と違い、首相となるとそこには外交、防衛という国政上の最重要課題がのしかかってくる。首相は、非常時における自衛隊の最高指揮官でもあり、国家や国民の命運を左右する存在だ。国民の政治への分担意識が低い現段階では、直接投票で首相を選ぶということは、その点でもかなり危険をともなうことになるだろう。首相公選とは日本国民としての国家の判断を国民一人一人がすることに他ならない。
制度的な問題点としてもうひとつあげられるのは、選挙費用の問題だ。アメリカの大統領選挙でもみられるように、現代の選挙はマスコミ選挙になっている。巨額なマスコミ対策費を用意できる候補者でなければ、実質上有効な選挙活動ができないということも起こりうる。

■副首相も憲法に規定せよ!

さまざまな問題はあるとはいえ、少数与党、連立政権などといった、現在の閉塞した政治状況を変革する上で、首相公選という選択は非常に重要な制度改革につながっていくだろう。そこで、これまであげた首相公選にまつわる問題点、すなわちこれまで述べてきたように瞬間的なブームなどによって首相が誕生することを解消するためのシステムを考えてみた。

一つは、先述のようなアメリカの大統領選挙にみられる予備選挙の導入だ。
これは、首相を選ぶためだけの代議員を選び、その人の投票によって首相を選出する2段階選挙だ。
選挙が長期間にわたるため、考え直す機会が国民に与えられる。そのため、ブームに流されたり人気投票に走ったりということがある程度解消されるだろう。また、選挙が長期にわたり、多くの情報が選挙民に与えられるため、有権者はより慎重に候補者を選ぶことができる。
この場合、まず政党内部で適任者を選び、候補者として名乗り出る。また、有権者が政党離れをしているという現状の中では、無所属の人物も一定の要件で候補者になりうるシステムも必要だ。
また、政党の場合でも、例えばオウムのような団体が政治資金規正法上の要件を整えて政党として候補者を擁立した場合、それを阻止するためのチェックも必要になる。破壊活動をするような政党を認めないという政党条項のようなものを、憲法の中に取り組んでおかなければならないだろう。

2番目のポイントは、首相と副首相とをセットで選ぶという点だ。大臣までは選ぶ必要はないと思うが、副首相とのセットで、有権者はより冷静な判断が下せる。
副首相はアメリカの副大統領のように、もし万が一首相が職務を遂行できなくなった場合、首相に昇格して国政を担う権限をもつ。現憲法には、首相が当然欠如したりした場合、誰がその職務を代行するかという規定がない。小渕首相が緊急入院したときのように、一時的に無政府状態になる可能性もあり、総理大臣の権限の大きさを考えると、予め憲法に規定しておく必要がある。この場合副首相が、その責務を担うことになる。

もう一つ、選出された首相は、各大臣を指名し、また冒頭で述べたように立法(国会)と行政(内閣)を明確に分立させるためにも国会議員と首相及び大臣の兼職を廃止するということも必要だろう。
このような政府を作ることによって、選任過程が明確になり、国民から共感を得られる政府ができるように思う。また、有権者の側も、自らが国の進路に関わるという意味で政治に対する責任分担の意識が明かになるのではないか。

国際情報誌「SAPIO」(小学館発行平成12年4月26日号)より