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自衛隊の国際平和協力活動と防衛庁の省昇格問題

2006/08/11

2004年1月からイラク復興のためにサマワに派遣されていた自衛隊の部隊が任務を終え、一人の犠牲者も出さず無事日本に戻ってきましたね。
早川 イラクに派遣されていた600名の自衛隊員は、7月7日より撤収を開始し、クウェートを経由して7月25日に最後の部隊が日本の土を踏みました。様々な危険がある中で一人の死傷者を出すこともなく、またイラクの国民に対して一度も銃を向けることもなく人道支援、復興支援活動を完遂できたことはまさに奇跡的だったと思います。成田空港に降り立った隊員と家族が抱きしめあうような感動的な姿を目の当たりにし、一人一人の隊員に改めて心から「お疲れ様でした」と申し上げたいと思います。
イラク復興支援特別措置法に基づいて自衛隊はイラクに派遣されました。イラク特措法はどのような法律だったのですか。
早川 イラク特措法は、国連安全保障理事会の決議を受けて、イラク国民の生活と安定や、民主的な組織を構築するイラク国民の自主的な復興を支援、促進する国際社会の取り組みに、わが国が積極的に協力していくための具体的な措置を決める法律です。
自衛隊は、イラクで主にどのような活動をしていたのですか。
早川 一日で約200トンの「給水」活動や、サマワの主要病院での医療機材の使用方法の指導を主とした「医療支援」活動、学校や道路などの「公共施設の復旧・整備」活動、更には復興のための物資の輸送等を主な任務としていました。
自衛隊を迎えたサマワの人々の反応はどうだったのですか。
早川 派遣された自衛隊の幹部は、積極的にサマワの有力者や首長と会見を行ない、大歓迎を受けたそうです。これは自衛隊が来ることで、「雇用問題」などが改善されると期待されたからです。サマワ駐留中も自衛隊員はサマワの住民に対し積極的に手を振り、地元住民との融和に努めました。この効果は絶大で、子供たちも自衛隊の車両を見つけると、自分たちから手を振ってくれるようになったそうです。
自衛隊のイラク派遣は日本の安全保障や、自衛隊の在り方など、我が国の将来について大きな影響をもたらすもので、特別の意義を持つ派遣だったという意見がありますが。
早川 その通りですね。自衛隊がオランダ軍等に守られながらも、サマワにおいて目に見える形で、国際平和協力活動を展開したということは、これまでの自衛隊の活動とは明らかに一線を画するものだと言えます。
諸外国では、戦前の記憶から日本の軍隊と聞くとネガティブなイメージを持たれがちだったのではないですか。
早川 戦後60年間、わが国はどこの国とも戦争を行っておりません。イラク派遣の全期間を通じて自衛隊員が一度もイラク国民に対して銃を向けたり、発砲したことがなく、人道支援、復興支援に徹したことから、日本の自衛隊が決して戦闘をするための軍隊ではないということを、世界の国々にアピールできたのではないかと思います。
ところで、敗戦によって日本の軍隊は解体されましたが、自衛隊ができるまでの間の日本の国防はどのように担われていたのですか。
早川 敗戦直後の日本は連合国軍の支配下に置かれて、わが国の防衛は全て連合国軍によって担われておりました。ところが、1950年に朝鮮戦争が勃発し、GHQの指令によって、警察力の不足を補うための武装隊として警察予備隊が設置されました。警察といっても小規模な軍隊に相当し、装備は本格的な戦闘に備えたものでした。1952年に警察予備隊は、現在の陸上自衛隊の前身にあたる保安隊に改編され、保安庁が設置されました。1954年には、自国の防衛力の増強の義務を負う日米相互防衛援助協定が結ばれ、本格的な国防組織である自衛隊が成立しました。
現在の防衛庁の組織について簡単に教えてください。
早川 防衛庁は、内閣府の外局であり、内閣総理大臣が最高指揮監督権を持ち、防衛庁長官が隊務の総括をしています。陸・海・空の三自衛隊があり、統合幕僚長を頂点とした指揮命令権を持つ統合幕僚監部がこの総括組織として置かれております。自衛隊は、専守防衛に基づいて国民の生命と財産を守ることを基本理念としています。
自衛隊の隊員数はどのくらいですか。また日本の国防費は世界第4位であると聞いたことがありますが本当ですか。
早川 自衛隊の兵力としての現役自衛官は、陸上自衛隊は約15万人、海上自衛隊・航空自衛隊はそれぞれ約4万5千人、計約24万人です。防衛費は4.83兆円(2005年度)であり、アメリカ、ロシア、中国に続いて世界第4位となっております。日本のGNPに占める国防費の割合は1%であり、世界第134位となっています。
防衛庁の省昇格に関する議論が平成9年以降、国政の場で続けられてきたと思いますが、なぜ防衛庁を省にする必要があるのですか。
早川 北朝鮮のミサイル発射や不審船問題、米国同時多発テロなど様々な事件が発生する中で、国民の生命と財産を守り、諸外国と協力して世界の平和を実現することが重要な課題となっております。これらの課題に迅速かつ的確に対応しうる、いわゆる危機対処能力を抜本的に強化するためです。
防衛庁を省にすることでどのようなことが変わるのですか。
早川 防衛庁長官は内閣府の外局の長でしかなく、防衛庁には「主任の大臣」は置かれておりません。このため、(1)国の防衛に関する重要案件について閣議を求める、(2)法律の制定や高級幹部の人事について閣議を求める、(3)予算の要求や執行を財務大臣に求めるなどの重要な仕事は、内閣府の主任大臣である総理大臣を通じなければ出来ない仕組みになっております。省にすることで、国防についての主任の大臣が置かれることになり、様々な内部手続の簡略化が計られるとともに、迅速な対応が可能となります。
防衛庁の省昇格法案や、最近の国際社会の動きなどから、わが国が再び軍事大国化しないかが心配ですが。
早川 防衛庁を省に昇格するということは、中央官庁での位置付けを変えるものであって、シビリアンコントロールや専守防衛、海外派兵の禁止や非核三原則など、わが国の防衛に関する基本的な政策には何ら変更はありません。国土の四方を海に囲まれ、食料の60%、エネルギーの96%を海外に依存せざるを得ない日本にとって、国際社会の平和と安定はわが国の存続にとって不可欠の条件です。例え防衛庁が省になっても、国際協力や、国際平和を基調とするわが国の国是(基本方針)は決して変わることはありません。
ところで、靖国神社や靖国神社の中にある「遊就館」は戦争を賛美し、軍国主義を鼓舞するものではないかという声がありますが、早川さんはどのように考えておられますか。
早川 靖国神社は明治維新以来の国難に殉じてこられた方々の鎮魂と慰霊の社です。一方、遊就館は、日本の近代国家生成の歩みをできるだけ忠実に再現し、日本の国民に戦争の記憶を風化させないための貴重な資料館だと考えております。  私は、日本の戦争は全て遊就館に封じ込めておきたい、とさえ思っております。  靖国神社に参拝された折には、是非遊就館を参観して頂き、自分の目で確認頂ければ幸いです。
 
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